美濃和紙について
歴史
製紙の技術は朝鮮から日本に渡ってきたという。
聖徳太子の時代に記録が残されているが、現存している日本の最古の紙は、正倉院にある702年(大宝2年)の戸籍用紙で、筑前、豊前、そして美濃の和紙が所蔵されている。
1300年以上の歴史を有する美濃和紙は、福井県の越前和紙、高知県の土佐和紙と並び「日本三大和紙」のひとつに数えられる。
平安時代には経文・経典として、近世では書写用紙として。
江戸時代には美しく光を拡散する障子紙としても高い評価を受け、幕府・尾張藩御用紙となり「美濃判」という規格が定着する程だった。
徳川家康が関が原の合戦で用いた「采配」にも使われたという逸話もあり、これが幕府御用達の和紙となったと言われる。
2014年にはユネスコ無形文化遺産に本美濃紙の技術が登録され、京都の迎賓館の障子は全て本美濃紙が使用されている。美濃手すき和紙は2021年に開催された東京五輪の表彰状に採用された。
美濃和紙の特徴
豊富で質の良い水源があり、縦ゆり、横ゆりを交えた漉き方で、薄くムラのない、かつ強靭で耐久性のある和紙を得意とする。
岐阜提灯や岐阜和傘などの工芸品にも用いられ、特に薄いものは薄美濃と呼ばれ、大英博物館など世界各国で古文書や絵画など国宝級の文化財の修復になくてはならない存在となっている。
機械抄きの美濃和紙も各社様々な分野で進化しており、包装や印刷用のものから、懐紙などに使う透かし和紙、西陣帯用金糸銀糸の原紙、工業用途として掃除機のダストパック原紙やマスキングテープ原紙など、こだわったものづくりを続けている。
新美濃和紙ブランドマーク
美濃和紙ブランド共同組合が認定した商品のみに使用できるロゴマーク。
美濃地区で独自の認定基準に合格した高品質の美濃和紙を使用していることを保証するもの。
美濃和紙を本美濃紙・美濃手すき和紙・機械すき和紙の3つに分類。美濃手すき和紙の中でも、特定の材料、道具、製法を用い、認定を受けた一部の職人だけが漉く和紙をユネスコ無形文化遺産となった和紙を本美濃紙と呼ぶ。
弊店の美濃和紙糸は「美濃機械すき和紙」に登録され、靭皮繊維を使用した高品質なものであることが認められている。
美濃和紙とうだつの町
歴史
岐阜県美濃市は、昔は上有知(こうづち)と呼ばれ、和紙で栄え、うだつの建物が佇む静かな美しい街。
長良川の河口より75kmの上流に位置し、支流の板取川では、古くより和紙が漉かれ、奈良や平安の王朝で使用されてきた。
関ヶ原の戦いで戦功を上げ、高山の町をつくった金森長近によって、城下町として整備された。川湊が開かれ、水運の拠点となった。町内には和紙や原料の問屋がならび、和紙は京都、大阪、江戸に運ばれ、全国的に美濃紙として盛名を馳せた。役目を終えた川湊の灯台はいまも川原で静かに佇んでいる。
町は丘の上にあったため水の便が悪く、火災が多かった。享保8年(1723年)の大火で町は一度全滅し、防火のため道幅を従来の倍に広く取り、今の町並みに至っている。
町ごとには「屋根神さま」と呼ぶ防火の神を祀り、今でも毎年欠かさず祭りを執り行っている。
明治時代の後半、町の有志達の努力で、現在も現役の水力発電所が建設され、岐阜から関を経由して美濃までの電気鉄道が敷設された。この頃、弊店の創業者の二代目松久永助は事業を安定させ、鉄道への出資や町議など、町の発展に深く関わっていた。
明治44年(1911年)、「上有知(こうづち)町」は美濃紙にちなんで「美濃町」に改名。
本来岐阜県南部のことを指した「美濃」の名を付けることができたのは、当時それだけ美濃紙の産地として知名度と力を持っていたことを表している。
大正5年には、日本で初めての近代的な吊り橋の「美濃橋」が長良川に架けられ、現在では最古の近代吊り橋として国の指定重要文化財に指定された。
昭和に入ると美濃町は周囲から「まち」と呼ばれ各商店・映画館・銭湯などで賑わった。
平成11年(1999年)、美濃町は重要伝統的建造物群保存地区として指定され、それを受けて電線の地中化が行われた。
うだつがこれほどまとまって残っているのは他に例がないという。
昔ほどの賑わいはなくなったが、景観と旧い伝統を守りながら、新しい伝統を創る努力が町の人々によって続けられている。
2大イベント
春の「美濃まつり」。
毎年一つ一つ手染めで作られた紙の花をつけた“しない”を250から300本をみこしに取り付ける。大小あわせて30余基の花みこしが市内を練りまわり、「オイサー」の掛け声と太鼓の音で美しい桜の花が乱舞する。翌日は江戸時代に作られた山車の練りがあり、夜には「美濃流し仁輪加」という町民たちによる即興喜劇が町の辻々で行われる。
秋の「美濃和紙あかりアート展」。
毎年10月、美濃和紙を使用したあかりのオブジェを一般・小中学生の両部門で全国から一般公募し、「うだつの上がる町並み」を会場として展示、コンテストを行っている。
平成6(1994)年に美濃市観光協会の美濃市制40周年記念事業として始まり、多くのボランティアで支えられている。
江戸時代からの情緒ある町並みを柔らかく照らすあかりのオブジェたちは、美濃和紙の持つ柔らかさや美しさを感じることができ、美濃和紙の新たな可能性をも感じさせてくれる、美濃を代表するイベント。
うだつとは
“うだつ”とは、屋根の両端に作られた防火壁のこと。江戸時代、瓦でなく板葺きだった当時の建物は火事の際、屋根をつたって延焼していくため、それを防ぐためにつけられていた。当時の豪商たちが競い合うようにそれぞれ立派な“うだつ”を設けはじめた。それは商家の富の象徴となり、「うだつが上がらない」という言葉にまでなる。江戸時代の名残のうだつの建物は大切に保存され、今でも使用されています。